【過去記事】巣食うモノ、直視。

これだけの、悪いことをしてきたのだから、
その人は不幸になっても仕方がない。
 
あれだけの、つらい思いをしたのだから、
その人は幸せになるべきだ。
 
公平世界仮説だ。
どちらの言論も、
言われてみれば、まぁそうかな、と思えてくる。
 
では、つらく悲しい境遇の人が幾度も悪い事をしたら、どうだろうか。
 
 
これは、自分のことを言っているわけじゃない。
自分のところよりも酷い家庭で育った人間を知っているし、自分よりも悪いことを沢山してきた人間を知っている。
 
それでも自分は悪いことをしてきたし、騙すようなことをしたこともある。
今、不幸な境遇に立たされている人がこれを読んでいるのなら、その境遇は私のせいかもしれない。
 
 
ここのところの焦りは加速をしていて、それはとても漠然とした不安から来るものと思っていた。
でも、違うように思えてきた。
 
捨てられることがとにかく不安だったと気づいた。
社会的な何かや年齢、季節、他にも何かあるのかも知れないが。
 
気にしていない風だったそれは、実はとても大きかった。知らないうちに肥大化し、自分の心に巣食っていた。
 
何かできるようにならなければ、何か進展しなければ、自分はまた捨てられてしまうのではないか。
もしかしたら、もう、半ば呆れられているのではないか、もし手遅れの域まで達していたなら。
それなら今は、情か、惰性か、
 
過ぎ去ったと思っていたそれは、
確実にトラウマとなっていて、
言葉を受け流し、視界を霞ませた。
 
それらを否定できるのはいつでも曖昧なもので、
本当の私の立場はどこだ。